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ひおかのお知らせ 秋商品「月見まんじゅう」取扱始めました。 2019年10月1日より、原材料高騰により価格改定をいたしました。<

安心・安全の理由 アイデアメニュー大募集 会社概要 グルメクラブ 美味食彩 Vol.5（2024年10月〜2025年1月）

随分待った。この電車で終わりだと諦め掛けた時、十八時を過ぎた電車で弘子は戻ってきた。
ようやく会えた。
弘子は寒いのか急ぎ足で、すぐに駅前の自転車預かりの家に入って、自分の自転車に
乗って颯爽（さっそう）と走り去ってしまった。正造は車の場所までが遠いので、追いかけられない。大失敗だと思った。こうなったら恥を覚悟で自転車預かりの家に入って聞こう。
初老のおばさんが店番をしていた。
「すみません、先ほどの桜井さんに忘れ物を届けに来たのですが、声をかける前に自転車で行っちゃったので。自宅はどこでしょう？」
「渡してあげましょうか？」
「重いから持って行きます」
「少し待ってね」
六十代の女性は何も怪しまずに住所を探し始めたが、
「誰だった？」
「桜井さんです」
「桜井さん多いからね」
「弘子さんです」
「ああーあの可愛い子か、お父さんと二台預けてるけど住所は町名までしか書いてないよ」と言って教えてくれた。正造は聞き終わると向かったが、その町には桜井がいっぱいあって全くわからないのだった。
そして街灯も少なく暗いので、不審者に間違われると困るから、今夜は帰宅するのだった。でも家はこの近くなのだとわかったのは、今日の成果だと思う正造だ。
………

正造は過ぎ去った昔を思い出しながら川面を見ていると時間が過ぎ去るのを忘れていた。正造は帰らないと母が朝食を作って待っていると急ぎ足。自宅の六十八歳の母春子は帰って来ない息子を心配していた。
家に戻ると外まで出て来て「どうしていたの？　心配したよ、具合でも悪いの？」と言った。「展望台から川を見ていたら、時間が随分経過してしまって、ごめん」と母の肩を軽く叩いた。

今度の日曜日に見に行こう。正確には二十一年に近かった。久々の弘子の町へ。そして弘子の自宅付近に、行こうと思う。いきなり家に乗り込む理由も自信もなかった。ただ、一目見てけじめをつけたかった、二十年前の忘れ物に。自分の姿も大きく変わっているのだろう、多分弘子の変貌も凄いだろう。ようやく自分を取り戻せると正造は思っていた。
事務所に着いても所長室のカレンダーを焦点の定まらない瞳でぼんやりと見ていた。
朝の思い出をまた、思い出していたのだ。
………

自宅を探すために翌日も正造は弘子の町に車で向かっていた。表札に家族の名前を書いている家と書いてない家があった。弘子の自宅が書いてあることを祈って探し回った。半時間ほど探したが、この村はほとんどが桜井だった。その中に桜井長一郎、良子の隣に弘子と書いてある。
見つけた、この家だ、正造は小躍りする気持だった。
これで手紙が書ける。昭和五十一年がもうすぐそこだった。来年は必ず手紙を書いてお付き合いを始めると心に決めていた。

冬休みが終わって、またいつもの時間が始まった。この休みの間にも三度、車で自宅付近に行った正造だった。偶然を装い会えたらいいなと思ったが、自宅から出てくるのは、老婆だけだった。
電車の中で、いつものような時間の中で、何かきっかけになる話はないのだろうか？と聞き耳を立てていると、有名な役者さんのファンだと知ったのだ。これはチャンスかもしれない。
正造は翌日から芸能欄を注意して読む日々が多くなったのだ。何か手紙を書く材料が欲しかったのだった、時間の経過は早かった。すぐに三月になった。その時、友達との会話の中に、四月に近くで弘子の好きな役者のコンサートがあって行きたいとの話が聞き取れた。
チャンスだ。
すぐさま、正造はチケットを二枚買い、これまでの経緯、自分の事、但し住所は記載しなかった。恥ずかしかったのだ。
突然ですが、是非一度お茶でも。チケットは二枚入れておきます。もし自分と会うのが嫌ならお友達を誘ってコンサートに行って下さい、私は諦めます。　田宮正造
その手紙とコンサートの役者のポスターを添えて投函したのだった。これで、何か反応があるだろう、進展するだろうと喜んで待った。
週が変わっていつものように電車に乗る。彼女の反応を見たが全く変化がない。
どうして？　嫌いでも、目くらいは合わせるか、場所を変えるだろう。断りもない、いつもと全く同じだった。何も変化のない時間が、やがて春休みに突入。
正造はショックで言葉も出なかった。

あのチケットとポスターはどこに行ったのだろう？
休みに再び自宅に向かう。老婆が春の日差しにひなたぼっこをしている。思い切って近づいて正造は老婆に声をかけた。
「お婆さん、今日は暖かいですね」
「そうじゃな、今日はいい天気だ」
「お孫さんは、今日はお出かけですか？」
「孫？　孫の一樹は東京に働きに行っているよ」
「いいえ、弘子さんですよ」
「孫は一人じゃよ、弘子は私だよ」
そう言われた正造は目の前が真っ暗になった。私はこの老婆にチケットとポスターを送ったのか？　帰り道をどのように帰ったのかわからないほどのショックだった。
これが運命の失敗だった。
………

正造は思わず苦笑した。事務の本間遙が部屋に入ってきて「所長、どうしました、笑っていましたね」そう言われて、今度は我に返って苦笑した。
それほど、この失敗の痛手は大きかったのだ。
………

あの時、間違えていなければ、交際出来たかもしれなかったから。

それから本当の家を探そうと、二、三度自宅付近に行った正造だった。
二年生になって弘子は朝の電車に乗る機会が減っていた。多くて週に二日、少ない時は一日だった。寂しい日々になっていた。本当の自宅を探し当てたのはもう夏になっていた。
夏休みも何度か自宅に行くが何もきっかけがないから何も出来なかった。自宅付近で会うこともなかった。保険会社の名刺が役に立って自宅を探し当てたのだが、そこからが進まない。焦っていた。あと半年でもう見ることもなくなる。
十一月の夜、自宅付近にて車で待機して待つ。寒そうに弘子が自転車で向かってくる。
もう、咄嗟だった。暗闇に閃光が走った。自転車で帰る弘子を撮影してしまったのだ。彼女の驚く顔の写真はその時のものだった。偶然にシャッターを押していた自分に驚いたが、宝物にはなった。

そして、年が明けて、もう彼女は朝早い時間にはほとんど乗らない。就職が決まったのか？　花嫁修業なのか？　今後の進路もわからないのだった。一度も言葉を交わさないまま、見ることもなくなったのだった。寂しい日々になった。
そして運命の日がやってくるのだ。
彼女の家の近くには土手があり、車を駐車した場所から彼女の家まで田畑を隔てて、直線距離で二、三百メートルはある。自宅を眺めるには絶好の場所だった、怪しまれずに見れる。
その日は川と田畑には朝霧が立ち込めていた。
………

暦は平成になって数年が過ぎた日曜日、約二十一年振りに正造はその土手に車を駐車していた。タイムカプセルに乗ったような気分だった。ここからの景色は二十一年前とほとんど変わっていなかった。
土手に車を駐車して、弘子の自宅に向かって歩く正造。以前は土手から眺めるだけだったが、この日は違った。何の目的もない、ただ、家の近くに行きたかった、表札を確認したかった。時間を戻すために、それが必要だったから。
桜井弘子の自宅は当時は兼業農家だった。子供は弘子と聡子の姉妹、田畑が一町ほどあったようだ。弘子の家の裏にある田畑は土手まで広がっていた。弘子が嫁に行っているなら、この家にはいないからわからない。もし養子をもらっていたら、今もこの家だ。子供は何人だろう？
この道を歩いて家の前まで行って何がしたいのだ？
わからない、ただ、時間を戻したいのだ、あの瞬間から脱出したいのだ。
自宅の前まで足を運んで表札を見ると、桜井直樹、俊子、陽子と三人の名前があった。確か妹は聡子だった。この陽子って誰？　直樹はお父さん、俊子はお母さん、そう考えていた時、玄関に人の気配がする。慌てて物陰に隠れるように玄関先を避けた。
中から若い女性が扉を開けて出てきた。そっと、見上げた正造は思わず「弘子」と口走っていた。それは時間が止まったような光景だった、まさしく、弘子だった。二十一年前、電車の中に見かけた弘子そのものだった。
夢を見ているのか？　正造は我が目を何度も何度もこすった。
その娘は自転車を、玄関の横から出して乗った。正造を見かけて、微笑んで会釈をしたのだ。
弘子は一度も微笑んでくれたことなぞなかったから、その笑顔と会釈は彼女が立ち去っても正造の眼に残った。正造は慌てて車に走って行った、こんなに早く走れるのかと思うほど。こんなに早く走れるのか？　と思うほど、少女の後を追うために、ただ駅に向かって走った。何となく、駅に行ったと思ったのだ。
二十年前の思い出を捨てに来たのに、不思議な光景を見た。夢なのか？　何度も自宅に来ても一度も弘子には会えなかったのに、今日は弘子に会ったと思うのだった。
時間の経過を忘れていた正造。夢の再現？

 

 

 

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