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小説『朝霧』 十五話

 

東京から帰った二人は週末、陽子の希望であった、母弘子の短大に向かった。夏休み中で閑散とした校内。クラブ活動の生徒が数人、運動の練習をしていただけ。それでも、陽子はここで何十年か前に母が学んだのかと思うと感無量だった。正造も学校に来たのは初めてだった。運動の生徒が会釈をして「娘さんの入学ですか?」と声を掛けてきた。正造が笑顔で頷うなづくと「楽しい学校ですよ、是非に」と言ったのだ。「ありがとう、おじさん、いやお父さん」涙目の陽子の肩を叩く正造。

野々村兄弟が陽子のところにやってきたのは翌週だった。
「親戚の所に用事がありまして、会えませんか?」と電話があったのだ。
「何かわかりましたか?」
「少しわかりました」と言うので、駅前の喫茶店で会うことにして、陽子は出掛けて行った。智也と伸也は陽子を見つけると、手を振って呼んだ。
「先日はどうも」と会釈をすると「父がその後少し思い出しまして、旅行には短大時代の友達と一緒に行ったと覚えていました」
子供達が何度も聞くので、父は仕方なく話していた、本当は忘れたい事だった。

「やはり、そうなのね、大山さんだわ」
「それと、結婚式に出席のためだったらしいですよ」
「結婚式ですか? どなたの式だったのですか?」
「大学の友人じゃないですかね。事故は、約十七年ほど前のことだったみたいですよ」
「そうですか、ありがとうございました」と会釈をした。二人は申し合わせていたのか急に、「陽子さんはお付き合いをされている男性とか特定の決まった人は?」と、伸也が切りだした。
「決まった人はいませんが」
「そうですか、僕たちとお付き合いをお願い出来ませんか?」と嬉しそうに言う。
「お二人と?」と不思議そうに言うと「二人と付き合って、どちらかを選んでもらえれば」と微笑んだ。
「私、決まった人はいませんが、好意を持っている人はいますわ」
「えー、片思いですか?」と驚いたように言う二人。
「片思いなのか自分ではわかりません」
二人はそのあと、各自の自己紹介を延々とするのだった、陽子は聞き流していた。兄の智也の仕事がセントラル旅行社で弟は大学の四年生。来年大手の広告代理店に就職が決まっている。その二つしか、頭に残ってなかった。陽子は二人に興味がなかった、正造が心の片隅にいたのだ。

二人と別れた陽子はすぐに正造に電話で、聞いた内容を話した。
「お母さんではないですね」
「何故?」
「陽子さんは十八歳でもうすぐ十九歳でしょう?」
「そうだったわ、もう母は結婚していますね。それに母の友人の結婚式に夫婦では行きませんよね」
「ですね、大山順子さんと野々村真希さんは共通の友達の結婚式で韓国に行って事故に遭ったのかも」
「母とは関係ないわけですね」
「一度その事故を調べてみますよ」
「事故は専門ですね」
陽子は事故のことは正造に任せれば安心だと思った。
数日後、陽子は笹倉真子さんを探さなければと、暑い日差しの中、自転車で向かった。久々に行った笹倉の家には、七十歳くらいの老婆が来ていた。
「こんにちは。桜井と言いますが? 真子さんいらっしゃいますか?」
そう尋ねると老婆は急に「桜井? あっ!、疫病神だ、その名前は聞きたくない」と家の中に入ってしまった。笹倉真子の母、貴江だった、先日連れ合いが亡くなって、久々に息子の家に遊びに来ていたのだ。笹倉貴江には桜井の名前を聞くだけでも気分が悪いのだ。逆恨みをしていたのだった。陽子は戸惑いつつ帰る以外に方法がなかった。
何があったのだろう? 桜井と云う名前を毛嫌いしていた。何故だろう? 母と関係があるのだろうか? 笹倉のお婆さんの病院が近くだ、寄って行こう。陽子が今度は病院に自転車を走らせた。
病室に行くと、娘の片山久美子さんが見舞いに訪れていた。
「陽子さん、こんにちは、暑いのに来てくれたの?」
「ご無沙汰しています、近くに来たので。これ召し上がって下さい」と近くの店で買ったプリンの箱を差し出した。
「気を使わなくていいのよ」
「お婆さん寝ているの?」
「そうよ、昼を食べてしばらく話をしていたら、寝ちゃったわ」
「おばさん、少し聞いてもいいかな?」
「何?」
「おばさんって兄弟は何人なの? 小さい時に亡くなった人もいるって聞いたのだけれど」
「突然どうしたの?」
「お母さんは兄弟いないから。おばさんの兄弟多いから聞いて見たの」
「そうね、賑やかだったわね、昔は。二人亡くなったからね、六人だね」
「多いですね」
「久雄兄さんの次男の順平君が、陽子さんに興味あるらしいわ」
「そう、何しているの?」
「警察官」
「堅い仕事ね、先日お婆さんがここで話していたのだけれど、勝巳さんって誰?」
「勝巳さん?」と言うと、ベッドのお婆さんが起きて「勝巳がどうした、清巳もどこに行った?」と叫んだ。
「お母さん、何を言っているの?」と久美子が慌ててなだめたのだった。
陽子は「夢を見ていたのね、お婆さんお大事にね」と病室を出たのだった。
帰り道、自分の周りの人達が自分に何かを隠していると感じていた。今日は清巳が登場した、
勝巳との関係は何? そして桜井は疫病神って? 疑問が頭の中をグルグル巡っていた。家で祖父に聞きたい、でも教えてくれないだろう。先日の慌て方を見てもそれは容易に想像出来たのだ。
夜、寝ながら、母の写真に問いかけていた。
「何があったの?」
「お父さんは誰なの?」
「お母さんは死んだの?」
問いかけた後に出てくる顔は正造の顔だった。
翌日、正造に連絡すると、役所に行って戸籍謄本を取ればわかることが多いかも、とアドバイスされ、早速、陽子は役所へ向かった。
健康保険証と学生証を提出して、ドキドキしながら待つ陽子、恐る々々見た戸籍謄本には、桜井直樹、俊子、勝巳、弘子、聡子、そして自分の名前が記載されていた、勝巳はお父さんだったのだ。そして嬉しいことに誰も死亡になっていなかった。
急に元気になる陽子。お父さんとお母さんと叔母さんが一緒に海外に行ったのかな? 今度はそのような疑問が生まれてくるのだった。
早速、正造に連絡して、一度見て欲しいと頼むのだった。何かを口実に会いたい気持ちの方が強かったのだ。

直樹が病院で久美子に会って、智恵子を交えて話し合っていた。久美子は、もう陽子も大人になった、今、勝巳のことで疑問に思っているから、話す方がいいのではと直樹に進言していた。問題はどこまで話すか? 三人の意見は分かれていたが、変に誤解をするより、今までの話に父勝巳のことを付け加えることで、とりあえず陽子の疑念を払拭しようとした。
陽子の頼みに、正造は忙しい、を理由に会うのを拒んでいた。それは正造もこれ以上陽子に近づくと本当に好きになりそうだったから。自分を抑えられない怖さがあった。弘子から陽子に気持ちを移すことは出来ない、自分の年齢のことを考えると、とてもこれ以上陽子を好きになれない自分だった。

忙しいと言われて仕方なく諦める陽子に、翌日、直樹が話を切りだした。
「陽子、実はお前が疑問に思っていることがあると思うから、今から話をして置くから」
神妙な直樹の顔に緊張の陽子。
「陽子のお父さんのことなのだが、実は今病院に入院している笹倉のお婆さんの息子さんなのだよ、勝巳さんっていうのだ」

「やっぱり、そうだったのね、小さい時から運動会とかお婆さんとお爺さんがよく来てくれたから、変だと思っていたの」
「だがなあ、お前の両親が揃ってお前を捨てて海外に行ってしまったので、可哀そうに思って黙っていたのだ」
陽子が立ち上がって自分の鞄から出した戸籍謄本を直樹に見せて「これは?」と聡子の名前を指さした。驚く直樹。
「陽子、これは」
「そうよ、不審に思ってもらってきたのよ」
狼狽する直樹、困り顔の直樹に「この聡子さんって、お母さんの妹でしょう。何故、この家にいないの? 結婚しているの? 戸籍では結婚してないわ」
「……」
「三人揃って何故?」
二人の話に俊子が部屋に入って来て「陽子がそこまで知ってしまったら、言わないといけないね」
「教えてよ」
何を言うのか心配になる直樹に俊子は意外な話をした。
「色々あってね、二人が海外に行ったのを追いかけて行ってしまったのだよ」
「えー、それって?」顔色が変わる陽子。
「こんな話、出来ないだろう、だから言えなかったのよ、許してね、陽子」呆然とする陽子、呆れ顔の直樹、二人が部屋を出て考え込む陽子、三人が自分勝手な解釈をして理解をしてしまった。俊子はそれが狙いだった。はっきり言えない事柄だと理解させたのだ。陽子は父勝巳と聡子が恋をして海外に逃げたのを母が追いかけて行ったのだ、だから写真もすべて処分したのだと、三角関係の縺(もつ)れ? スキャンダル? 誰も言わない理由がようやく理解出来たと思うのだった。

 

 
 

 
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