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小説『朝霧』 二十五話

 

直樹と俊子は田宮が何を目的に近づいてきたのかが心配になった。
「玄関で会ってから、どうして話をするようになったの?」
俊子が漸く落ち着いて聞くと「田宮さんが、私がお母さんに似ていると言って追いかけて来たのよ」真剣な顔の二人に陽子が続けて話す。
「私はお母さんの顔を知らないから、田宮さんがお母さんのことを知っているなら教えて欲しいとお願いしたのよ」
二人は、陽子が母親恋しさからそのような行動をしたと理解した。
「お母さんのことを全く知らない私に、お母さんの友達を教えてくれたわ」
「何故? 友達を知っていたの?」
「短大で調べてくれたのよ」
「陽子に弘子がダブったのか?」直樹が恐い顔で言うと
「陽子、田宮さんとは、男女の関係はないわよね」と俊子が不安顔で言う
「例えば? SEXとか?」
はっきりと言う陽子に俊子は赤面して「まあ、そんなことはないわよね! 絶対に!」
「ないわ、紳士だから、誘っても駄目だったわ」さらりと言う陽子に驚く二人。
「えーー」
「陽子! 何を考えているんだ」と怒りを露わにする直樹。
「だって、好きなのだもの、我慢出来ないわ」
「相手の年齢を考えてみなさい」
「二十六歳離れているわよ」とさらっと言う陽子。
「でしょう、親子よ」俊子が年の差を強調して言う。
「そうだよ、陽子にはお父さんがいないから、お父さんだと思ったんだよ」
説得しようとする直樹たちに「始めはそうだったけれど、段々好きになったのよ」
「田宮さんが相手にしないだろう」と俊子が言うと
「田宮さんの中にはお母さんがまだいるから躊躇(ためら)っているだけよ。素敵でしょう? 二十年以上、思い続けてくれるなんて。なかなか出来ないわ、何回デートしたのだろう? お母さんと、夢の中でね」
呆れる二人、一度も話はしてないよ、田宮は弘子と関係はないのよ、と言いたかったが陽子がまた感動すると大変だから言えなかった。
直樹は正造に一度会いたいから住所を教えるように陽子に言うのだった。陽子は直樹が陽子の思いを代弁してくれると思い教えたのだ。
部屋に戻った陽子が正造に、母の話と正ちゃんのことを祖父母に話したとメールをしたのだった。正造から反応は? と質問が来たが、いい方向に向かうと意味不明のメールを返信していた。
「お爺さん、陽子は田宮さんに惚れていますね」
「困ったことだな」思案をする二人。
「親子を好きになったのかしらね、その田宮って人」
「そう言えば、弘子も感じのいい人だと話していたからな」
「陽子には婿養子は考えてないのですか?」
「もう、コリゴリだよ、孫娘まで死んだら、私たちは殺人者だよ」
「じゃあ、田宮さんと?」
「冗談じゃない、まだ今年十九歳の孫娘が美人で勉強も出来るのに、中年の男に嫁がせるわけにはいかない」
「陽子もそのうち気が付くわよ」
「一度、田宮に会いに行ってくるよ」
「そうですね、お爺さんの目で確かめてきて」
二人は田宮が悪魔のように思えていた。二十年の時を超えて蘇るのだった。
翌日、田宮のスケジュールを事務員に聞いて出掛ける直樹。陽子は朝から学校に行った。
「お爺さん、頼みましたよ」
「わかった」と言って車で走っていった。
正造の事務所に来た直樹、初めて話す緊張感があった。数人の事務員が忙しそうに電話の応対をしていた。直樹に気付いて「いらっしゃいませ、どなた様でしょうか?」
「桜井と申します、田宮さんに会いにきました」
「あっ、社長ですね、今、近くに急用で出ています。お待ちいただくように申しつかっています」
そう言って若くて綺麗な女性が応接間に案内した。直樹は事務所の大きさ、事務員の質はなかなかのようだと思う。しばらくして別の女性がお茶を持ってきた。
「どうぞ」と言う女性に「ここは何年ほど前から?」
「五年ほどでしょうか」
「田宮さんはずーと独身なのですか?」
「そのように聞いています」
それだけ話して部屋を出て行った、田宮の机が向こうに見える。綺麗に片付いて、几帳面な性格を感じた。しばらくして、田宮が戻ってきて「初めまして、田宮正造です」と名刺を差し出した。なかなかの紳士だった、年齢より多少は若く見える印象だった。
「陽子がお世話になっているので、そのお礼とお願いで参りました」
「いえ、お世話というほどのことではありません」
「携帯電話までいただいて」
「いえいえ」
「今日は、その陽子があなたに気持ちがあるようなので、田宮さんの方から諦めるように話してもらおうとお願いに来ました」
「はい」困惑の顔をする正造。
「田宮さんも、自分の子供のような年齢の陽子では釣り合いもないでしょう」
「いえ、そんなことはありませんよ」
田宮の意外な言葉に、この男も陽子を好きになっていると感じるのだった。
「もう、お調べになったのでご存じだとは思いますが、陽子の両親はもうこの世にはおりません」
「はい」
「その事故にあなたも関連しているのですよ」
直樹は意外なことを言い出した、それは陽子から正造を引き離すのが目的だったから。
「それは? どういうことでしょう?」怪訝な顔の正造。
「田宮さんが弘子に付きまとうので、短大出てすぐに結婚したのですよ」
「それは……」困り顔になる正造。
「あなたに付きまとわれて怖くなって、笹倉の息子と結婚してしまったのですよ」
「私は何も……」
「写真を写したでしょう、毎週土手にいてうちの家を見張っていたでしょう」
「私は何もしていないし、ただ、きっかけが欲しくて」
「弘子は怯えていました、それで勝巳さんを頼ったのです。本当は二年ほど農協で勤めてから結婚させる予定だったのです」
「就職先も知りませんし、一度も話をしていません」
「だが、無言の恐怖もあるのです」
「私にどのようにして欲しいのでしょう?」
「親子を苦しめないで欲しいのです」
「今、陽子さんを苦しめているのでしょうか?」
「弘子はあなたに殺されたようなものです、あなたが付きまとわなければ、普通の結婚式をしていたでしょう。式も行わないで、陽子が生まれて、旅行社の企画ツアーに参加しなければ、妹の聡子も亡くなってはいません」
「……」
「あなたの行動が二人を死に追いやったのです。今また娘の陽子まで不幸にするのですか?」
「……」
正造には衝撃の話だった。自分が原因で弘子さんが飛行機事故で亡くなったことが。
「わ、か、り、ま、し、た」と噛みしめるように返事をした。
これで、陽子から離れるだろう。直樹は安心顔で田宮事務所を後にした。
直樹が帰って正造は放心状態だった。自分が弘子を殺したといわれて、そうかもしれないと考えていた。写真から土手待機の行動を、すべて弘子が見ていたのなら、あり得る行動だったから、正造は自己嫌悪に陥ってしまった。だが実際、弘子は写真を撮影された以外、何も知らなかったのだ。もちろん写真を正造が撮影した事実も知らないのだ。土手で毎週ぼんやりとしていただけだった。両親が気付いて警察に通報していたのだった。
直樹が帰っても正造は放心状態が続いていた。しばらくして陽子がメールで連絡をしても反応がなかった。今日学校の帰りに家に行くからね、だったが反応がないので心配になっていた。
夕方陽子が自宅に行っても鍵が。本宅に行く陽子。
「こんにちは」と明るい声に春子が笑顔で「陽子さんいらっしゃい」
「美味しいケーキを買ってきたのですが。しょ、正造さんはまだ事務所ですか?」
「そうだね、まだ帰っていないね」
「昼間もメールしても返事がなかった……、仕事が忙しいのかな?」
「定時の仕事だから、もう事務員も帰っていると思うけれどね」
「私、見てきます」
「自転車使いなさい」
「有難うございます」
陽子は自転車で田宮の事務所に向かった。電気も消えて鍵も掛かって扉は開かなかった。だが、正造は応接間にまだいた。昔のことを思い出していた。自分が弘子を殺してしまったのか? どうすればいいのだろう? 陽子のことは脳裏から消えていた。自分の過ちで、と考えていたのだ。
携帯にも出ない。その日から正造は消えてしまった。
翌日も陽子は事務所を訪れた。そして事務員から、祖父の直樹が訪問してから正造が消えたと聞かされていた。衝撃だった。祖父が正造にとんでもないことを話したのだと悟る陽子だった。
何を正ちゃんに話したの? 私から引き離すため? お母さんの秘密がまだ何かあったの? 
私が知らないことがまだあるの? 嘘でしょう? 正ちゃんーーーー陽子は帰りの電車で色々なことを思い巡らせていた。不安が……。

 

 
 

 
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