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小説『朝霧』 二十六話

 

不安な気持ちで陽子は自転車で急いだ。自宅に帰った陽子は祖母の俊子から言われた。
「もう、陽子に隠す必要がないから渡すよ」
それは母弘子の日記とか色々な物だった。本当は嬉しいはずだったが、今は正造のことが気になった。
「それより、お爺さんは?」
「農協の集まりに出掛けているよ」
「そうなの。帰ったら教えてね、必ず」
怒ったように言って二階に。陽子は祖母にもらった母の遺品を大事そうに自分の部屋に持ち込んだ。その中に日記帳があった、短大時代に書いていたのだろうか? 卒業あたりで終わっていた、写真のアルバムが二冊。若かりし母の姿がそこには写っていた。長い間見られることなく、ミカン箱に入れられていたのだろう。写真が付着して開かないページもあった。祖母はこの写真も日記も最初は見ただろうが、十五年以上見てないと思われた。
初めて見る母の写真。父勝巳の写真は数枚あるだけ。極端に少なかった。それも二人で写した写真は皆無だった。母は本当に父を愛していたのだろうか? の疑問が残る写真のアルバムだった。 アルバムを見終わった時に直樹が戻ってきた。二階から急いで駆け下りる陽子。
「お爺さん」と恐い顔の陽子を見て「どうしたのだ、陽子」
「お爺さん、田宮のおじさんに何を言いに行ったの?」
「別に。お前が世話になっていたからお礼を言いに行っただけだ」
「嘘でしょう。おじさんと連絡出来なくなっているわ」
ますます恐い顔で言う陽子。
「もう、陽子との調査が終わったからだろう」
「そんなこと絶対にない、おじさんも私のことが好きだから、何も言わないで消えるわけないわ」
半泣き状態の陽子。陽子は必死に直樹に話の内容を聞こうとした。
「そんなに、好きなら教えてあげるよ。お母さんを死に追いやったのは、あの田宮さんなのだよ」
泣き顔で驚くのだった、絶対にない、の思いと一緒に。
「そんなの嘘よ、あんなに優しいおじさんが、お母さんを殺した? 飛行機の事故でしょう」
「その飛行機に乗せたのが彼だよ」
「どう言う意味なの?」
言葉が強くなる陽子。
「あの田宮さんは、お母さんに付きまとっていた。お母さんは怖がっていたのだよ、それが原因だよ」
「嘘よ!」大きな声で否定する。
「ある夜、この家の近くに潜(ひそ)んで、暗闇から写真を撮影したのだ」
「えー」驚きの声をあげた。陽子の持っている写真のことだ。俊子がこっそりと写真を見ていたのだ、陽子は本当の話だと思った。
「お母さんはその日から恐怖に陥(おちい)り、ノイローゼになった。田宮は裏の土手で毎週、車に乗って見張っていたのだ」
「そんなの嘘よ、それってストーカーじゃない。恐い」
半分信じられないが、写真の事実がある。
「それで、お母さんは怖くなって陽子の父親の勝巳さんと急いで結婚したのだよ」
「そんな」
まだ、信じられない陽子。
「すぐにお前を妊娠して結婚式が出来なかったので、会社の企画海外挙式を申し込んだら当たって、それで亡くなってしまったのだよ」
「……」呆然とする陽子。
「田宮がどんな男かよくわかっただろう」
「まだ、信じられない」それでも否定しようとする気持ちの陽子。
「地元の警察に突きだしたから記録も残っている」
陽子は気が動転していた。警察問題にもなった? あの優しい、裸でいても指も触れない正造からは、想像が出来ない陽子だった。自分で聞いて納得しなければ、諦められない。陽子は必死になっていた。もし事実なら、祖父にそのように責められたら、あの優しい正ちゃんは耐えられるだろうか?
自殺?????
自分の部屋に戻ると、陽子の不安はますます大きくなる。色々考えていると眠れない陽子だった。その夜から何度も(正ちゃん、連絡をください)とメールをするが反応がない。翌日も。
………

事務所には、数日旅行に行くと言って出掛けたとのこと。陽子は学校の帰りに正造の実家に立ち寄って、その後の様子を聞きに行った。
「お母さん、その後連絡ありましたか?」
「全くないのよ、心配でね」
「会社は大丈夫なのですか?」
「社員の方がみんなベテランなので心配はないらしいのですがね」
「うちのお爺ちゃんが、私の母の死は正造さんのことが原因だと話したからです」
「写真の人ね」
「ご存じだったのですか?」

「白黒の古い写真を、大事に持っていましたからね」
「私は信じられないのですが、お爺さんは母を追いかけ回していたと言っていました」
「確かに昔は毎週車で、朝早く撮影とか言って出掛けていましたよ。この家の二階の部屋には沢山飾ってありますよ、もう禿げていますがね」
「見せてもらえますか?」
「いいですよ、少し階段が弱くなっているから気を付けて」
二階に上がると以前ここは正造の部屋だったと言われた。壁の写真はまさしく、陽子の裏の土手からの川面の渓流の写真だった。朝霧に包まれた田畑の向こうに、幻想的に浮かぶ陽子の家の写真もあった。
「綺麗ですね、毎日生活していると何とも感じませんが、写真になると違いますね」
古ぼけて色の変わった写真を眺める陽子、本当なの? お爺さんの話? と写真に問いかける陽子に春子が「あっ、正造は陽子さんのお母さんのことを、日記に書いていましたよ」
「お母さん、読んだのですか?」
「昔ね、正造が何日も悩んでいたことがあってね、自殺でもするのではと思って、こっそりと読んだのですよ、最近は書いていませんがね」
「それって、今はどこに?」
「本人もどこに置いたか忘れているでしょうね、時々見ている? わからないけれどね」
「読みたいです」
陽子は正造の本心がわかる、そんな気がした。春子は古ぼけた机の引き出しを開けて、大学ノートを差し出した。
「読んだら呼んでください、コーヒーでも入れてくるわ」
陽子は部屋の壁にもたれて読み出した。読み始めてこれってほとんど母のことが書いてある、と思った。会った日の服装、電車の中の様子、意識し始めた経緯。短い文章だがわずか半時間の電車の中の様子が細かく書いてあった。話をしたかったが出来ない。もどかしさが文章の中に溢れていた。コンサートのチケットとラブレターを勇気と祈る気持ちで送ったこと。そしてそれが他人に渡った無念な気持ち。そこに春子がコーヒーを持ってあがってきた。
「どう? ストーカーの日記は?」
「話が出来ない辛さが、滲み出ていますわ」
二人がコーヒーを飲んでいた時、携帯にメールが届いた。
(陽子さん、ごめんなさい、お母さんを死なせてしまった、責任は私にあります、本当にごめんなさい)
「お母さん、これ」とメールを見せた。
「これは……」春子が絶句した。
「これは、どういうことでしょうか?」
「正造はもの凄く責任を感じていますね、早まらなければいいのですが」
「えー、それって?」
「いいえ、大丈夫、大丈夫、立ち直りますよ」
春子が自分に言い聞かせるように言った。不安がますます膨らむ陽子だった。
陽子はそのまま急いで自宅に戻った。
「お爺さん、田宮さんはお爺さんの思っているような人じゃあないわよ」
怒りながら話した。
「どうしたのだ」
「お爺さんが事務所に行ってから、彼、行方不明なのよ、このメール見てよ、ほら」と正造のメールを見せた。
「これは、お前に対するお詫びだな」
「お爺さんが変なことを話したからでしょう」
「本当のことだよ」
陽子は不安が増大していた。お母さんも何か書いているかもしれない。お爺さんが言うように、恐くて、恐くてお父さんと結婚を急いだのなら何か書き残しているはずだ。夜、床に入って母、弘子の日記を読み始める。
短大に入学してから卒業までの二年間の日記だった。通学する大変さ、でも憧れの短大だ、早い授業の時は始発に乗って行く。朝の暗い道を自転車で走る辛さ。夜明けと同じ時刻に電車に乗って通学をする苦しさ。冬の朝の寒さ、でも、短大には行きたかったこと。その中に満員電車に好みの男性を見つけて、会える楽しみが書かれてあった。何日かあとのページに、その彼のことが書かれていた。今年入社した青年は毎日決まった車両に乗ってくる。今朝は目が合った、私のことを意識しているのだろうか? 数日後にバッチを調べると大手の損害保険の社員さんだ。週に三回会うと意識をしてしまうと書いてあった。
お爺さんの話と違う。お母さんは正造さんにいい印象を持っていたのだ。このまま、話す機会もなく終わるのか、残念、とも書いてあった。写真を写された日は、今日、帰りにいきなり写真を撮影された。驚いた、痴漢だろうか? 恐かった。両親に話したけれど、間違いだったかも?

別のページを開くと、もしかして、早く結婚させられるかもしれない。私は恋愛がしたいのに、失敗。誰か素敵な人にどこかに連れて行って欲しい。笹倉の家から婿養子を迎えるのは気乗りがしない。
あの損保の彼が付き合ってくれて、プロポーズしてくれたら、家を捨てて付いて行くのに。
名前も住所もわからないからどうすることも出来ない。
ある日の日記に、今朝、あり得ないことが起こった。あの損保の彼が始発駅から乗っていた。
もしかして私に声を掛けるために乗ったのかと思ったが、間違いだった、失望……。
最後の方の日記に父と母が急に笹倉勝巳さんと結びつけようとしている、来月から農協で働きたいのに何があったの? 衝撃の文章で終わっていた。
家族と一緒に城之崎に日帰り蟹ツアーに行ったが、私は家族と笹倉家に騙された。私と勝巳さんを結婚させるためのツアーだった。もっとロマンチックに初体験をしたかった。私は家の道具に使われたのだ。哀しい。好きな人と結ばれたかった。一度も話もしていないけれど、いい人だと信じていたから。
……涙
日記がそれ以後はなかった。いつの間にか陽子は泣いていた。母の無念な気持ちが日記には綴られていたから……。

 

 
 

 
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